2007年09月21日
ドゥ・ハルヴ・マーン醸造所の歴史
横浜ビアフェスでも何人かの方に聞かれましたが、「ストラッフェ・ヘンドリックとドゥ・ハルヴ・マーンはどう違うの?」 といった疑問がここで解決します。
■ドゥ・ハルヴ・マーン醸造所の歴史

ハルヴ・マーンとはフラマン語で半月(ハーフ・ムーン)という意味。
醸造所の歴史はとても古く、1564年には町の台帳に名前が残されています。
1856年にアンリ1世として知られる、マース一族のレオン・マースが醸造所の所有者となりました。
醸造したビールは樽のみによって配下されていました。
1867年にアンリ1世が亡くなると、息子のアンリ2世たちが後を継ぎました。
彼らは産業革命のさなか、最新の技術を学ぶためにイギリスに渡り、
帰国後はスタウトやペールエールなどイギリススタイルのビールの醸造をはじめました。
1905年にアンリ2世たちが若くして亡くなると、その後は彼らの妻たちが醸造所の運営を続け、
第一次世界大戦の困難な時代を乗り越えることができました。
第一次世界大戦後の1919年、醸造所の運営はアンリ3世が受け継ぎました。
彼はドイツに渡り、下面発酵のラガーの技術を学びました。
ブルージュでもラガーを生産することを決意し、1928年には醸造を開始。
続いてボックの生産も開始し、大きな成功をおさめました。
また彼は馬を使って顧客のところに配達するシステムを構築し、顧客の支持を得ました。

1950年代、アンリ4世の時代も醸造所と配送システムは成長を続けましたが、 1970年代には人々の生活スタイルが一変し、顧客は車に乗ってスーパーなどにビールを買いに行くようになりました。
1981年、アンリ4世の娘ヴェロニクは新たなビールを世に送り出しました。
ブルージュに聖アルノーの銅像が建てられたのを記念して造られたこのビールは、他のビールよりも強く、「ストラッフェ・ヘンドリック
(強いアンリ)」と呼ばれる由縁となりました。
1988年にはリヴァ・グループのデ・スプレンテル一族に買収され、醸造所の名前もハルヴ・
マーンからストラッフェ・ヘンドリック醸造所になりました。
メインの銘柄であるストラッフェ・ヘンドリックはその後2002年までブルージュで醸造されました。
醸造所は町の人々や観光客に解放され、見学コースやカフェはとてもにぎわうようになりました。
特に醸造所の屋上からはブルージュの町が一望でき、最高の展望です。

2002年、リヴァ・グループのデ・スプレンテル一族が醸造部門を売却。
この時点でストラッフェ・ヘンドリック醸造所の操業も停止されることになりましたが、ストラッフェ・
ヘンドリックブランドとそのレシピの権利はリーフマンス・ブルワリーズグループが引き継いで所有し、
デンテルゲムで造られることになりました。

3年間の醸造停止期間を経て2005年、ヴェロニク夫人の息子、ザヴィエル・ヴァネスタ
(6代目にあたります)が醸造所を買い戻し、名前もかつてのドゥ・ハルヴ・マーン醸造所として醸造を再開。
彼の父方の一族であるヴァネスタ一族も、1983年までブルージュでグーデンブーム醸造所を操業していた醸造一家でした。
彼は独自のレシピを開発し、「ブルッグス・ゾット」として販売を開始。
今日ではこの「ブルッグス・ゾット」がブルージュで醸造されている唯一のビールとして、町中の人々に愛されています。
- by
- at 09:04


3.33-ja
comments